KAZENAKAZENA
記事一覧へ

ジャカルタで、助けられてばかりだった

2026年6月18日 · Satoru(KAZENA代表)

初めてジャカルタに降り立った日のことは、今でもよく覚えています。空港を出た瞬間のもわっとした熱気と、あちこちで鳴るクラクションの音。正直に言うと、あの日の私は不安のほうが大きかった。言葉も分からない、道も分からない、商習慣も分からない。分かっていたのは「ここで会社をやる」という自分の決心だけでした。

そこから先は、助けられてばかりの日々です。

役所の手続きで途方に暮れていたとき、何時間も一緒に並んでくれた現地のスタッフ。片言の英語しかできない私を笑わずに、ゆっくり言い直してくれた取引先の担当者。雨季のスコールで立ち往生していたら、店先に招き入れてコーヒーを出してくれた食堂のおばちゃん。大げさではなく、この国で私が前に進めた一歩一歩は、名前も知らない誰かの親切の積み重ねの上にありました。

中でも、創業のときからずっと一緒に働いてくれているインドネシア人の仲間がいます。本人が照れるといけないので名前は書きませんが、彼は日本語を話せませんし、私はインドネシア語がまったく話せず、英語も片言です。それでも不思議なもので、大事なことはちゃんと通じます。私が制度や習慣を読み違えるたびに、嫌な顔ひとつせず軌道修正してくれる。私にとっては先生であり、時には保護者のような存在です。

正直に書くと、最初の頃の私たちは「オーナーとスタッフ」という間柄でした。それが変わったきっかけは、あるトラブルです。詳しいことはここには書きませんが、あの一件を一緒に乗り越えたとき、彼は私の中で「スタッフ」ではなく「仲間」になりました。この会社が今日まで続いているのは、間違いなく彼のおかげです。この場を借りて、ありがとう。

インドネシアには「ゴトン・ロヨン」という言葉があります。みんなで担ぐ、助け合う、という意味です。最初は標語のようなものだと思っていましたが、住んでみると、これは本当に生活の中に息づいている。困っている人がいたら、理屈抜きで手を貸す。私は何度も、その輪の中に入れてもらいました。

そして働くほどに、この国の可能性を感じます。平均年齢は20代。街のいたるところに小さな商売のエネルギーがあって、スマホひとつで何でも動く。日本が何十年もかけて作った仕組みを、この国は一足飛びに越えていくかもしれない。そう思わせる勢いが、日常のそこかしこにあります。

この借りをどう返すか。それが、いまの私の仕事のテーマになっています。その話は、また別の記事で書きます。

気軽に声をかけてください

読んで何か感じるものがあったら——いまインドネシアやフィリピンで挑戦している方も、これからの方も。仕事の相談でも、ただの雑談でも構いません。

お問い合わせへ